三者三様の歩み
柔道家・代議士・実業家。生きた時代も分野もまったく異なる三人ですが、並べてみると約150年にわたるこの高原の歩みが浮かび上がります。
1877年
甲奴郡階見村(現・神石高原町)に生まれる。
1916年
神石郡神石町古川(現・神石高原町)に生まれる。
1920年
第14回総選挙に立憲政友会から出馬し、議席を得る。
1934年
府中中学校卒業時点で、全国でも数少ない3段位の中学生だったという。
1974年
神石郡三和町(現・神石高原町)に生まれる。
1984年
明治大学での長年の指導実績が評価される。
1999年
生涯現役を貫いた柔道家としての歩みを終える。
2020年
保育所の施設整備や子育て支援事業に貢献。
2021年
神石高原町から初めての名誉町民として顕彰される。
柔道の名伯楽
柔道家・講道館九段 / 1916–1999
1916年、神石郡神石町(現・神石高原町)古川に生まれる。1932年に講道館へ入門し、1934年、 府中中学校卒業の時点で全国でも数少ない中学生3段位に列したといいます。明治大学専門部進学後は、 名人・三船久蔵の内弟子となり、約8年にわたり師事しました。
1936年の全日本東西対抗大会に最年少選手として出場したほか、1951年の全日本選手権には35歳で挑戦。 初戦で敗れながらも、生涯現役を貫いたその姿勢は「柔道家としての真骨頂」と評されています。 三船の後任として明治大学の師範に就任してからは、曽根康治・神永昭夫・上村春樹・吉田秀彦・ 小川直也ら、数多くの全日本チャンピオン・世界チャンピオンを輩出。女子柔道部の創設にも尽力しました。 全日本柔道連盟常任理事・顧問なども歴任し、1984年に9段を授与されています。
大正期の代議士
弁護士・衆議院議員 / 1877年生まれ
広島県甲奴郡階見村(現在の神石郡神石高原町)に生まれました。広島県師範学校を卒業後、日本大学で 法学を学び、1910年に卒業。上京して弁護士となり、著名な弁護士・花井卓蔵のもとで補助を務めた 経歴を持ちます。
1920年の第14回衆議院議員総選挙に立憲政友会から出馬し、当選を果たしました。弁護士・弁理士としての 活動と並行して、日本人造絹糸株式会社の監査役も務めています。山あいの村に生まれた青年が、 法律を武器に東京へ、そして国政へと歩みを進めた一例です。
名誉町民第1号
実業家・株式会社SHIFT代表取締役社長 / 1974年生まれ
昭和49年(1974年)9月22日、神石郡三和町の生まれ。株式会社SHIFTの代表取締役社長を務め、 平成29年(2017年)4月から2年間、神石高原町の経済大使を歴任しました。
令和2年(2020年)12月、ふるさと納税を通じて保育所の施設整備や子育て支援事業に多大な寄附を 行い、地域発展と公共福祉の増進に貢献。この功績により、令和3年(2021年)7月21日、 神石高原町名誉町民第1号として顕彰されました。町にはこの1名が、現在も名誉町民として 推戴されています。
人を育てた高原
三者三様の歩みの背景には、この土地そのものの成り立ちがあります。
神石高原町は、2004年(平成16年)11月、油木町・神石町・豊松村・三和町の4つの町村が合併して 誕生しました。標高400〜700メートルほどの高原地形に集落が点在し、平地に乏しいこの土地では、 古くから農業や酪農、林業が人々の暮らしを支えてきました。町の公式サイトでも触れられている とおり、中山間地域のなかでもとりわけ人口減少が著しい地域とされ、少子高齢化は今も町政の 大きな課題であり続けています。
そうした厳しい条件の土地だからこそ、進学や仕事を機に町を離れ、柔道・法曹・政治・芸能・ スポーツなど、さまざまな舞台で名を残した人々がいます。姿節雄や永屋茂が生きた時代、山村を出て 東京へ向かうことは、決して平坦な道のりではなかったはずです。丹下大のように、いったん町を 離れてなお、事業で得た力をふるさとへ還元しようとする人物が現れたことも、この土地と人との 結びつきの深さを物語っているのかもしれません。
ほかにも
各分野の人物名鑑に、神石高原町出身として記録されている方々です。生年順にご紹介します。
政治家
政治家
俳優
騎手
麻雀選手