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07 — 高原の恵み

牛にも、酒にも、
神の名が。

冷涼な高原の気候が育てた神石牛。「神石」の名にあやかって名づけられた清酒「神雷」。この町の食を たどっていくと、味わいの奥にもまた、この土地が神々とともに歩んできた歴史が顔をのぞかせます。

高原に育つ、神石牛と地酒

大喪の礼をひいた牛

神石牛 — 一頭の名牛から始まった系譜。

神石牛の歴史は大正時代にまでさかのぼります。1916年、広島県営の種畜場が神石郡に設立され、この地は 広島県産種雄牛の一大生産基地となりました。そして1927年、大正天皇の大喪の礼にあたり、神石牛の 「豊萬(とよまん)」号が御轜車(ごじしゃ)を曳く牛に選ばれるという栄誉に浴します。

この豊萬号の子孫からは多数の優れた種雄牛が輩出され、神石郡のみならず広島県産牛全体に大きな影響を 与えました。その後、ブランドとしては一度姿を消す時期もありましたが、2013年以降に復活の動きが起こり、 2015年には新たな認証制度が整えられ、現在の「神石牛」ブランドが確立されています。

肉質と実績: 神石高原町の冷涼な気候と綺麗な水に育まれた神石牛は、筋繊維が細く 余分な脂肪が少ないのが特徴で、甘みがありながらもあっさりとした脂身、柔らかな舌触りが持ち味です。 全国和牛能力共進会では、1982年の第4回大会で「第3神竜の4号」が若雄の部で優等賞首席を受賞。 その産子も1992年の第6回大会で肉牛の部金賞首席に輝いており、全国和牛能力共進会で2度日本一に 輝いたブランド牛として知られています。

「全国和牛能力共進会」は、通称「和牛のオリンピック」とも呼ばれる、5年に一度開催される和牛界 最大の品評会です。全国の和牛産地から選りすぐりの牛が一堂に会し、体型や肉質などの改良の成果を 競い合う、いわば和牛界の頂点を決める大会にあたります。開催地は持ち回りで、直近では2022年に 鹿児島県で第12回大会が開かれ、次回2027年は北海道での開催が予定されています。地方の一牛種が この大会で2度「日本一」を勝ち取ったという事実は、それだけ神石牛の系譜が全国的にも高く評価 されてきたことを物語っています。

種雄牛として記録された神石牛
種雄牛として記録された往時の神石牛
1916年

広島県営種畜場、神石郡に開設

この地が広島県産種雄牛の一大生産基地となる出発点。

1927年

「豊萬」号、大喪の礼の御轜車を曳く

大正天皇の大喪の礼にあたり選ばれた栄誉が、神石牛の名を広く知らしめた。

1982年・1992年

全国和牛能力共進会で2度の日本一

「第3神竜の4号」とその産子が、それぞれ若雄の部・肉牛の部で最高位を獲得。

2013年〜

ブランドの復活、そして再定義

一時途絶えかけたブランドが動き出し、2015年に新たな認証制度が整備される。

なお「大喪の礼」とは、天皇の崩御にあたって国の儀式として執り行われる葬送の礼のことです。 近代以前から、天皇の柩を載せた輿や車を牛に曳かせる儀礼が伝統として重んじられてきており、 その大役を担う牛には、体格・毛並み・気性のいずれにおいても優れた個体が選ばれるのが常でした。 山間の小さな郡から送り出された一頭が、国家的な儀礼の場に立ったという事実は、当時の神石牛が いかに高く評価されていたかを物語る出来事だったといえるでしょう。

高原で牛を育てるということ: 一般に牛は暑さに弱く、気温の高い時期には食欲が落ちて 増体や肉質に影響が出やすいとされます。標高400〜700mの高原に位置する神石高原町は、年平均気温が およそ11℃台と、瀬戸内沿岸の産地に比べて夏場の暑熱ストレスが少ないと考えられ、これが牛にとって 過ごしやすい環境を生み出してきたと言われています。町内にはかつて仙養ヶ原など牛の放牧に使われた 高原の草地もあり、広い土地を生かした牛づくりの土壌が古くからこの地にはありました。

日本には神石牛のほかにも、松阪牛、近江牛、但馬牛・神戸ビーフなど、地域の気候風土と結びついた 数多くの和牛ブランドが存在します。その多くは温暖な沿岸部や盆地で育てられてきましたが、神石牛は 標高500m前後の冷涼な山間高原で育まれてきた点に、ひとつの個性があるといえるでしょう。もっとも、 肉質の善し悪しは気候だけでなく血統や飼育技術、飼料など複合的な要因によって決まるものであり、 神石牛の実績もまた、豊萬号以来の系譜と、長年にわたる生産者の丹精の積み重ねの上に成り立っています。

「御轜車を牛が曳く」という儀礼そのものも、日本の歴史のなかでは古い由来を持ちます。平安期の貴族 社会では牛車(ぎっしゃ)が都でのおもな移動手段であり、牛は単なる労働力にとどまらず、身分や格式 とも結びつく存在でした。天皇の葬送儀礼においても、近代以前から柩を運ぶ車を牛に曳かせる形式が 伝統として重んじられてきたとされます。もっとも、時代が下って自動車が普及すると、儀式の運行も 次第に車両中心へと移り変わっていったと考えられており、1927年の大喪の礼で神石牛の「豊萬」号が 務めた御轜車の牽引は、牛による牽引としては近代の皇室儀礼のなかでも数少ない、貴重な事例の ひとつであったといえるでしょう。

1716年創業の蔵

清酒「神雷」 — その名は、雷と「神石」から。

油木の三輪酒造が醸す清酒「神雷(しんらい)」は、江戸時代中期の享保元年(1716年)創業という 長い歴史を持つ蔵元です。酒銘「神雷」の由来には、「昔、蔵に雷が落ちたが大過なかった」という 出来事と、「神の宿る国『神石(じんせき)』にあやかった」という、二つの言われが重ねられています。 蔵の名づけそのものに、この土地の信仰が息づいているのです。

蔵は中国山脈の山あい、標高およそ500mの土地に母屋と酒造蔵を構えており、広島県内で最も高い場所で 醸造される清酒とされています。冷涼な気候はもろみの発酵をゆるやかに進める一因となり、また 高原らしい清冽な伏流水も酒質を左右する要素とされ、この土地ならではの環境が「神雷」の持ち味を 形づくってきました。

一般に、日本酒の醸造において気温は発酵の進み方を大きく左右する要素とされます。冬場の寒気を 利用してじっくりと仕込む「寒造り」は、雑菌の繁殖を抑えながら低温でゆるやかに発酵を進めることが できるため、古くから高品質な酒づくりの基本とされてきました。標高の高い土地は年間を通じて気温が 低く保たれやすく、蔵の温度管理という点では有利な条件を備えているとも言われます。また、山間部の 伏流水は概してミネラル分が少ない「軟水」に近い性質を持つことが多いとされ、こうした水質もまた 酒の香味を左右する要因のひとつです。中国山地には標高の高い土地に蔵を構える酒蔵が神雷のほかにも 点在しており、瀬戸内沿岸とはまた違う、山あいならではの酒づくりの気風がこの地方には育まれてきた といえるでしょう。

伊能忠敬とこの蔵: 1811年2月には、日本全国を測量してまわった伊能忠敬の測量隊が この蔵に宿泊したという記録も残っています。伊能忠敬は、55歳を過ぎてから幕命を受け、1800年から 1816年にかけて実に足かけ17年、日本全土を歩いて測量し、初めて実測に基づく精密な日本地図 「大日本沿海輿地全図」を完成させた人物です。全国を巡ったその足跡の一部が、この高原の酒蔵にも 刻まれていたことになります。
三輪酒造の清酒「神雷」のボトル
「神雷」— 標高500mの蔵が醸す清酒

高原の畑から

高原野菜と、加工の知恵。

平地の少ない神石高原町では、山間の傾斜地に切り開かれた棚田が広がり、稲作もまたこの土地の暮らしを 支えてきました。急な斜面を一枚一枚石垣で区切って水を引き込む棚田づくりは、決して効率のよい農法 とはいえませんが、山あいの少ない平地を余さず活かそうとする先人の知恵の結晶でもあります。米が 貴重であった時代には、こんにゃくや雑穀、山の恵みを組み合わせた食が食卓を支えてきました。

棚田の維持には、水路の管理や石垣の補修など、平地の水田以上に手間がかかります。近年は担い手の 減少により、全国的に棚田の耕作放棄が課題となっていますが、神石高原町でも棚田を保全し、景観と 農地を次世代へつなごうとする取り組みが続けられています。斜面ごとに異なる日照や水温が、区画 ごとに微妙に異なる米の味わいを生むともいわれ、手間を惜しまず受け継がれてきた棚田は、この土地の 農の原風景のひとつです。

標高の高い土地ならではの寒暖差と冷涼な空気は、糖度を保ちながらもみずみずしさを損なわない野菜や 果物を育てるのに適しているとされます。トマトやぶどうなどの高原野菜は、「取れたて新鮮」を売りに 町の農産物の中心を担っており、平地の産地とは異なる時期・環境で出荷できることも、高原農業の 強みのひとつです。

高原トマト

昼夜の寒暖差が甘みを凝縮させるとされ、「摘みたて」を売りにした高原トマトは町の農産物の顔のひとつです。

ぶどう(ピオーネなど)

涼しい気候を生かしたぶどう栽培も盛んで、大粒で濃厚な甘みのピオーネなど複数の品種が育てられています。

高原ルビー(キウイフルーツ)

赤色系の果肉を持つキウイフルーツが「高原ルビー」の名で栽培されており、近年町の新しい名物として知られるようになってきました。

しいたけ

山あいの気候と豊かな森林資源を生かし、しいたけなどのきのこ類も昔からこの土地の食を支えてきました。

高原しょうが

冷涼な高原で育つしょうがは、香りの強さと辛みの豊かさが持ち味とされ、加工品にも幅広く使われています。

はちみつ

花期の長い高原の植生を生かした養蜂も盛んで、町内では地元産のはちみつが土産物としても親しまれています。

加工品の顔ぶれも豊かです。こんにゃく、餅、やきごめ、おかき、はちみつ、味噌、甘酒、漬物、せんべい、 ジャムといった昔ながらの品々は、いずれも冬の長い山間部で保存性を高め、限られた食材を長く味わう ための工夫から生まれてきたものです。近年ではそこに、クラフトビール、神石牛を使ったビーフ・ ポークカレーなどのレトルト食品、えごま、プリン、ヨーグルトといった新しい挑戦も加わり、伝統と 革新が同じ棚に並ぶ町の食文化を形づくっています。

高原の恵みを、今味わうなら

道の駅と、直売所めぐり。

神石高原町でこうした高原の恵みを実際に味わい、持ち帰るなら、まず訪れたいのが国道182号沿いに ある「道の駅 さんわ182ステーション」です。地元でとれた旬の野菜や加工品を並べる直売市場と、 こんにゃく料理やうどん・そばといった郷土の味を楽しめる食事処、ソフトクリームなどを提供する カフェを備え、町の農と食の窓口として親しまれています。

三輪酒造も、蔵のある油木の地に店を構えており、事前に問い合わせれば購入や見学の相談に応じて もらえる場合もあるようです。標高500mの蔵まで足を運び、蔵の空気そのものを感じながら一杯を 味わうのも、この土地ならではの楽しみ方といえるでしょう。

こうした道の駅や直売所は、生産者の顔が見える場所でもあります。JA神石高原をはじめとする 地元の農業関係者や、小規模な個人生産者が育てた野菜や果物、加工品が並ぶ棚には、大量生産では 見えてこない、この土地ならではの季節の移ろいが映し出されています。

高原と信仰のあいだ

食もまた、祈りとともにあった。

神石高原町の農と食は、単なる生業としてだけでなく、この土地の信仰とも決して無縁ではありません。 星居山や帝釈峡の伝承が語るように、山や川、石には神が宿るとされ、豊作や無病息災を願う祭礼は、 田植えや収穫といった農事の節目に合わせて営まれてきました。神楽が奉納される場もまた、多くは その年の実りへの感謝や翌年の豊穣を祈る場でもあったのです。

清酒「神雷」の名づけに「神石」の名が重ねられ、大喪の礼という国家的儀礼に神石牛が選ばれたという 二つの物語も、単なる偶然ではなく、この土地が古くから「神の宿る場所」として意識され続けてきた ことの延長線上にあると見ることができるでしょう。高原の恵みを味わうことは、この土地が神々と ともに歩んできた歴史の一端に触れることでもあるのです。

おわりに

食もまた、土地の記憶を運ぶ。

星が降った山の伝説、亀の形をした石への信仰、帝釈天の名を負う峡谷——そして、大喪の礼をひいた牛の 血統や、雷と「神石」の名にあやかった酒。神石高原町では、目に見える神話だけでなく、日々の食卓の 上にも、この土地が神々や偉大な出来事とどう向き合ってきたかという記憶が、静かに息づいています。

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